『デジタルネイティブ』 を観た

帰宅して照明をつけた後はお約束のようにPCをP-ONし、立ち上がる間に
手洗いうがいを行う・・・
ネットを繋げ、つながっているのが当たり前の今日この頃。
いささかネット依存症かも、と思いつつもネットはツールであり手段の
ひとつであると自己自立を試みている毎日です。


ホッテントリでみつけたこのエントリのおかげで、
http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20081110/1226272071
久々にNHKみたよ。


デジタルネイティブ 〜時代を超える若者たち〜』
http://www.nhk.or.jp/digitalnative/

デジタルネイティブとは、下記のような感覚を持つことのが特徴。
・現実とネット 区別しない
・情報は”無料”と考える
・年齢・肩書き・所属 重視しない


たしかにそこには何ら偏見のないアイデンティティ同士の接触
世界があると思う。(そもそものネットフィルタがない限りだけど)
むしろリアル世界よりも本来の人と人同士のふれあいが可能なの
かもしれない。

そしてネットは現実の一部であり、境界線を引く必要は無いと
正直思っていたのですが、まさにそのとおりになりつつある。


で、観終わってから上記番組サイトのデジタルネイティブ度テストを
やってみた。

でも私は成績数字がどうであろうと自分がネイティブとは思えない。
境界線を引く必要は無いとは思いつつやはり頭でネットと現実を
埋めようと翻訳しようとしている自分がいるのに気づく時がある。
たぶんこの境界を本当に感じず、世界を体感している人たちが
本当のネイティブなのだろうなと思った。
そもそも冒頭で言った”ネット依存症”という言葉が物語って
いるのだけれども。まずはリアルありき、かな。
でもそのうちこの言葉も死語になるにちがいないと思う。


大事なのはネットとはいえやはり人間関係や視覚に頼りがちである
バーチャルの部分の絵やツール(たとえばゲーム)などにも
振り回されて疲れて去っていく(あるいは居場所を変える)知人も
いるという点である。
そのあたりはカウンセラーですら「ネットを切って人と人との本当の
交流をしましょう」とかまだ理解が無いように聞く。
何が本当で本当なのか、根本は自己がありそのRelationで自分の
カタチを自分で確認するに過ぎないと思うのにツールが何であっても
よいのじゃあないのかと思う。



で、まずは意思の表現として英語を自由に語れるようになりたいな
と思ったり思わなかったり・・・
それ以前にまずは日本語というか自分の表現がまとまるように
なることのほうが重要ですね。もっと修行します。

.