頂点に立つということ (驕ることなく感謝せねば的に)

連休初日の今朝、散りきってしまっていたチューリップを抜いた。
この半年間球根の頃から花が散るにいたるまで楽しませてくれたことに
感謝しつつ最期になるべく自分が手を下した。


連日の花々の器物損壊事件を思うと正直心が痛む。
それは無駄に花を散らしているからである。
植えた人と花を楽しもうとする人たちの間を無碍に命を絶ったからである。


でもいたずらに花を植え、いずれは枯れるであろうけれどもその前に花の
季節が終ったからといって抜いて次の花を植えるというガーデニングという
趣味についてどうかといわれれば正直命を粗末にしてるのか大切にしている
のかを微妙に感じるのは事実である。


人間としてすべての生物の頂点に立ったエゴかもしれない。
ただ根本的には命を育み大切にしているという事実は存在する。
闇雲に命を絶っているのではない。


食べることについても同じく考える。
動物を食べるという点においては賢い動物かどうかは関係ないと思ってる。
海の側に住んでいれば魚を捕獲して食べただろうし山の側に住んでいれば
山野の獣を捕獲して食べただろう、田野でとれる野生の木の実や自ら耕作
した米や穀類を食するだろう。
いずれも命であると思う。命の重さに植物も動物も賢い海洋動物であるかも
関係ないと思ってる。
命をいただくのは罪でありその罪の上に感謝して生きればいいと思ってる。


さっそく植木鉢が空いたのでバジルを植えた。
ローズマリーをセージをタイムをトマトを植えた。


夏のベランダはきっと私の心をおなかを満たしてくれるだろう。
それまでは大切に育みたいと思う。



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